オシエンさん 20090701
オシエンさんのフルネームはオシエン・ペニアンと言います。ミクロネシア人です。彼と会いましたきっかけは、私がミクロネシア連邦のあちこちの島を調査して、チューク州(トラック島)に10日ほど滞在していたときに、オシエンさんが訪ねてきたのです。 オシエンさんは自己紹介をして、戦艦大和がトラック島に停泊していた時の話などをしてくれました。「ヤマトはそこらへんの島よりも大きかった」と、当時のことを思い出しながら、感慨深げに話していました。 そして若い時に日本海軍のために働いていたことを語りました。その時の彼の仕事はチュークに入港する日本のマグロ延縄漁船の船長とミクロネシアの国営漁業会社の間に立って通訳の仕事をしていたのです。 マグロ延縄漁船はミクロネシア連邦経済水域内で操業をしており、捕獲したマグロをミクロネシアの国営漁業会社の施設に水揚げをして、魚体処理を行い、生のままカートンケースに詰め込みます。 この生鮮まぐろが入っているカートンケースをチューク国際空港からグアムに運び、グアムから東京や大阪、福岡などに向かって飛び立つジェット旅客機に搭載して日本に送り込みます。 日本のマグロ延縄漁船はマグロの水揚げだけではなく、氷の積み込み、食料の調達、燃料補給などをすべてチュークの港で行います。 数十トン級の沖縄のマグロ延縄漁船を中心とする漁船団は、チューク港で通訳を必要とする時があります。この通訳業務をオシエンさんがしていたのです。 ある程度は感じも読めるし、ひらがな、カタカナを書く能力は十分でしたので、日本のマグロ延縄漁船にとっては重宝がられていました。 そのオシエンさんが僕を訪ねてきたのです。目的は特になかったようですが、私がチューク州に初めて訪れたので珍しがってやってきたのです。これが彼との馴れ初めの初めでした。 一年近いミクロネシア連邦滞在を終えて、私は日本に帰りました。その後あちこちの発展途上国に行く仕事もありまして、オシエンさんのことはすっかり忘れていました。 彼と別れて三年後に自宅に手紙が届きました。カタカナで書かれていました。内容は経済的に困っているのでいくらでもよいので送金してくれないかというものでした。 チュークの人にお金を送ってあげる、ということを私はしない方針でした。しかし万策尽きての送金依頼と思われましたので、エヤメイルに一万円を同封して送ってあげました。一カ月ほどしてお礼の手紙が届きました。 エヤメイルで送金していましたので、途中でだれかに盗まれる可能性もありますので、心配していましたが、無事に届いたようなので安心しました。 数ヵ月後にまた送金依頼がありました。やむなく送ってあげました。そしたらまた数ヵ月後に送金依頼がありました。その時も送ってあげました。 このようなことが続きました。私の送金方法は法律に違反していますので、オシエンさんにその旨を説明し、銀行口座を開設するように勧めました。2週間ほどたって、口座番号や銀行名などを知らせる手紙が届きました。 これがもとで彼にわずかではありますが経済支援を続けています。これは貧しい人を助けるという高邁な精神からではありません。 戦前チュークの人たちに大変な迷惑をかけてしまい、功労金、年金、遺族年金、慰謝料などをチュークの人に支払っていないから、罪滅ぼしのためにしています。日本軍と連合軍の戦いでチューク人は1000人以上が死亡しています。 本来ならば日本政府が実施すべきことですが、政府も政治家もこのようなことをしないのです。 トラック・ラグーングーには今も日本の艦船が多数沈没しています。艦と運命を共にした乗組員の遺体も、もう骨だけになって現存しています。 トラック・ラグーングーは観光潜水スポットになっており、水中に潜った観光客が海底に横たわっている日本海軍乗組員の頭蓋骨を手に持って記念写真を撮ったりしています。 国辱的な写真です。日本の政治家や政府は何とも思わないのでしょうか。
posted by キャプテン at 00:18|
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